統計の歴史トリビア

昔の統計の雑学を紹介します。

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日本初の大規模人口調査、「甲  かい のくにげんざいにんべつ調しらべとは?

臨時に人員を動員して戸別に調査を実施


臨時に調査員2,000人を動員し、各調査員が平均39軒を担当。明治12年(1879年)12月31日午後12時時点の1住地及び住家の持借の別、2姓名(家主は華族・士族・平民などの族籍も)、3家主及び家族(世帯主との続柄)、4性別、5身上の有様(配偶の関係)、6年齢、7生国、8宗旨、9職業などを調査しました。

写真:甲斐国現在人別調

甲斐国(現在の山梨県)が「現在人別調」の調査地として選ばれた理由のひとつは、人口の規模が適当であることでしたが、調査票が提出され、統計院(明治14年の官制改革により設立)がその集計を完成するまでに1年半を要しました。なお、この調査による当時の甲斐国の人口は397,416人でした。

マンガで紐解く統計の歴史より、甲斐国現在人別調の調査について説明しています。甲斐国が選ばれたのは東京から近くて指導連絡が容易なこと、人口規模が小さいことなど試験調査しやすい環境だったからです。甲斐国現在人別調は1879年(明治12)12月31日午後12時健在の調査として行われました。調査の結果、甲斐国の人口は34万7416人でした。この調査には約2000人の調査員が動員され、約5760円の調査費用がかかりました。当時、米一升が10.5銭でしたので、現在の米一升を1500円とすると当時の貨幣価値の14000倍になり、調査費は約8064万円になります。