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2 平成16年新潟県中越地震前後の長岡市の人口の変化
平成16年新潟県中越地震《概略》
- 平成16年10月23日17時56分頃、新潟県中越地方を震源とするマグニチュード6.8の地震が発生し、新潟県川口町(現長岡市*)で震度7、小千谷市、小国町・山古志村(現長岡市*)で震度6強などを観測しました。
- 地震による住宅被害は、新潟県を中心に、122,667棟、130,083世帯に及び、最大時に1,024世帯、3,231人に避難指示、18,724世帯、61,664人に避難勧告が出されました。
(消防庁ホームページ「平成16年(2004年)新潟県中越地震(確定報)」(平成21年10月21日)より)
* 市町村合併により、平成17年4月1日に、中之島町、越路町、三島町、山古志村及び小国町、平成18年1月1日に、栃尾市、寺泊町、与板町及び和島村、平成22年3月31日に川口町が長岡市に編入しました。 - 旧山古志村地区では、平成16年10月25日に全世帯に避難指示が出され、旧長岡市地区の長岡ニュータウン周辺に建設された応急仮設住宅に多くの避難世帯が入居しました。その後、19年4月に避難指示は全て解除され、同年12月には、全ての応急仮設住宅が完全閉鎖されました。
1 旧市町村別にみた人口の変化
震源に近い長岡市について、平成12年、17年、22年の国勢調査による人口の変化を平成12年10月1日現在の旧市町村別にみると、応急仮設住宅が建設された旧長岡市地区では、平成12年から17年にかけては人口が増加(2,267人増)していますが、応急仮設住宅が閉鎖された17年から22年にかけては人口が減少(1,764人減)しています。
一方、全世帯に避難指示が出された旧山古志村地区では、平成12年に2,222人いた人口が、17年には10人に減少(17年7月に一部世帯の避難指示が解除)しましたが、全ての避難指示が解除された後の22年には1,181人に増加しています。(図7)
2 地域メッシュ別にみた人口の変化
図8は、長岡ニュータウン周辺及び旧山古志村地区について、平成12年、17年、22年の国勢調査による人口の変化を2分の1地域メッシュ(約500m四方)別に地図に表したものです。
地図中の緑色の場所は、応急仮設住宅があった場所を示しており、旧山古志村地区の多くの方々が避難していた長岡ニュータウン周辺では、平成12年から17年にかけては人口が増加していますが、応急仮設住宅が閉鎖された後の17年から22年にかけては人口が減少しています。
一方、旧山古志村地区(地図中の桃色の地域)では、平成12年から17年にかけては人口が減少していますが、17年から22年にかけては人口が回復しており、応急仮設住宅等に避難していた人たちが、震災前に住んでいた地域に戻ってきていることがうかがえます。
このように地域メッシュ統計の結果を地図で表してみると、地域の定点での変化をより詳細に分析することができます。
