戦後の統計制度確立に貢献した
統計の偉人たち

日本の統計学発展に寄与し、大きな功績を残した偉人たちを紹介します。

〉統計の偉人たちリスト

戦後日本の統計制度の再建を託された

大内兵衛 1888~1980 Hyoe Ouchi 日本の統計の不統一と混乱とを根本的に建て直すことは、日本経済再建の前提である。

戦後日本の統計及び統計制度の再建のため、統計法の立案、統計機構の整備充実、統計体系整備のための各種統計調査の調整等に尽力

1 統計法の立案、統計機構の整備充実等に尽力

昭和21 年(1946)、統計制度改善に関する委員会の委員長として、統計制度改善案について答申しました。

この委員会の答申に基づき設けられた統計委員会の委員長として、統計法の立案、統計機構の整備充実等に尽力しました。日本の現在の統計制度の基盤は、この時期に確立されたといえます。

昭和27 年(1952)以降、統計審議会会長として重責を担う等、戦後日本の統計及び統計制度の改善発達に大きな足跡を残しました。

大内兵衛の筆による論語の一説の写真

学而不思則罔 思而不学則殆」(「論語」巻一、為政第二)
大内兵衛(法政大学元総長)の筆によるもので、論語の一節が校舎の壁に掲げられています。

写真提供:HOSEI ミュージアム

2 大内兵衛と吉田茂

〜吉田茂首相から日本の統計制度の再建を託される〜
(吉田茂)日本の統計が戦争のために全く破壊されているため、進駐軍に出すべき資料を整えることができないのでこまっている。進駐軍も一日も早く統計を整理しろというのだが、それをどういう順序でどうしてやったらいいか指図とそれについて高野先生からの指導を仰ぎたいというのであった。高野先生の答は、このときもライス博士に対すると同一であった。すなわちそれは是非やらねばならぬことであり大いにやらねばならぬことであるが、自分はNHKのことに忙しくてそれをやる時間がない。その代わりにここにいる大内に頼みたまえ、彼にはまたその心用意があるだろうということであった。この答に対して、吉田さんは欣然とした。そして「そうか、大内さん、これならばやってくれるでしょうね」ということであった。私(大内)も、また何のこだわることもなく「やるだけやって見ましょう」と答えた。この話は、全部で一時間もかからなかったが、戦後における日本の統計制度組織の全権を吉田首相が私(大内)に委せるという話はここで決まったのである。
戦後統計事始め(「統計情報」昭和32 年8月号)より

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