戦後の統計制度確立に貢献した
統計の偉人たち

日本の統計学発展に寄与し、大きな功績を残した偉人たちを紹介します。

〉統計の偉人たちリスト

戦後日本の統計制度改革の確立に尽力

吉田茂 1878~1967 Shigeru Yoshida 戦前にわが国の統計が完備していたならば、あんな無暴な戦争はやらなかったろうし、またやれば戦争に勝っていたかも知れない。

戦後の総理大臣として、正確な統計の必要性から、統計委員会の設置や統計法を公布するなど、統計制度改革の確立に尽力

1 戦後の統計制度改革の確立に尽力

昭和21 年(1946)5月、第45 代内閣総理大臣になった吉田茂は、戦後の復興には正確な統計を基にした計画的な再建が必要であることから、統計制度の改善に関する委員会を設置し、統計委員会の設置や統計法を公布するなど戦後の統計制度改革の確立に尽力しました。

<統計制度の改善に関する委員会設置>

● 昭和二十一年七月十九日  閣議了解
一 統計制度の改善に関する具体案を審議立案するため内閣に統計制度改善に関する委員会を設けること。
二・三(略)
※統計制度改善に関する委員会の委員長は大内兵衛

<統計制度改善に関する緊急処置要綱>

● 昭和二十一年十一月二十二日  閣議了解
一 我国統計行政の中枢となる統計委員会の設置
(1) 〜 (3)(略)
二 統計委員会の本年度内事務予定
(1) 統計法(仮称)の立案
(2) 内閣統計局及び各省統計機構の改善案の立案
(3) 現行重要統計の改善に関する具体案の作成
(4)・(5)(略)
三(略)

2 吉田茂とマッカーサー元帥

マッカーサーと吉田茂の2ショット

〜日本の食糧危機の際の米の輸入量についてのエピソード〜
敗戦の年の冬は、いまでは想像さえつかない、" 国民総乞食" ともいえる、日本の姿だった。農林省は、450 万トンの食糧が足りないと試算し、新聞は、数百万の餓死者が出ると報じた。当時の吉田外相は、この数字をもとに、マッカーサー元帥に会い、救援食糧の放出を頼みつづけた。
翌昭和21 年(1946)の春、別の用件でマッカーサー元帥を訪ねると、「吉田君、君は僕にウソをついたね。70 万トンしか渡さなかったが、餓死者は出なかった。日本の統計はデタラメだ」と、きびしい表情でテーブルを叩いた。
弁解の嫌いな吉田さんは、とっさに逆手を思いつき、「当り前だ。統計が正確なら、あんなバカげた戦争はしないし、統計どおりいけば、 こっちの勝ちいくさだった」と切りかえした。とたんに元帥は大声で笑い出し、吉田さんの肩を鷲(わし)づかみしてゆすぶった。「それ以来、マックとの友情は、急速に深まり、立場の違いをこえて、何でも話し合える仲になりました」と、さも満足げに語っていた。
「側近が初めて明かす”吉田茂”人間秘話」より

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