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カンボジア政府統計能力向上プロジェクト | |
平成18年2月10日 |
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カンボジア訪問記(その3) |
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筆者は、2005年8月、カンボジア政府統計能力向上計画という日本−カンボジアの二国間技術協力プロ ジェクトを開始させるための第1回短期専門家として、情報処理システムの技術指導をするために、カ ンボジア訪問の機会を得たので、その時の様子を述べてみたい。 筆者にとっては、初めてのカンボジア訪問であった。その時の第一印象として、飛行機から見下ろし た時のプノンペンの周辺地域が、一面、水浸しになっており、まるで水田のようになっていたのには驚 いた。筆者が訪れた8月は、カンボジアでは雨季にあたっており、広大な丘になっているプノンペンは 問題ないものの、その周辺の低地では、この時期には、よく浸水し、洪水になることもあるという。 統計局が中心となって支援しているカンボジア計画省統計局(NIS)は、プノンペン市内にあり、分散 型のカンボジアの統計制度の中で、中心的な役割を担っている。筆者は、このNISに、国際協力機構 (JICA)の短期専門家として毎朝9時に「出勤」し、連日、NISの幹部と本プロジェクトの活動 計画について打合せを行った。 NISには、筆者のようなプロジェクトの専門家のほかに、二人の日本人男性が、ボランティアの統計アドバイザーとして駐在している。一人は、シニアボランティアの年配の方で、もう一人は、青年海外協力隊の20代の青年である。彼らのエネルギッシュで純粋かつ真摯(しんし)に仕事に取り組む姿には深い感銘を受けた。 カンボジアでは、昼休みの時間帯は酷暑の時間帯でもあるために、2〜3時間の長い昼休みをとるのが習慣であり、それはNISにおいても同じであった。その長い昼休みを利用して、前述の二人の日本人ボランティアが、筆者をプノンペン市内にある観光施設「トゥールスレン博物館」に案内してくれた。カンボジアでは、1975年4月から1979年1月までの3年8か月の間、ポル・ポト政権による極端な 共産主義が断行され、その体制にそぐわない技術者や知識人たちは、強制収容所に入れられて残虐行為を受けた。その強制収容所跡が、現在では「トゥールスレン博物館」として、膨大な記録とともに一般に公開されている。虐殺された犠牲者の写真のほか、鉄のベッドや足枷(あしかせ)などが、当時のままの状態で残されており、その光景は、筆者に衝撃的な記憶を残した。この暗い歴史は、復興の途上にある現在のカンボジアを語る上で、避けては通れない事実である。
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写真1 トゥールスレン博物館の外観 | |
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写真2 拷問や残虐行為が行われた部屋(当時のまま残されている) | |
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写真3 館内に展示されていたポル・ポトの写真 |