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カンボジア政府統計能力向上プロジェクト・フェーズ I
2005年6月21日
カンボジア統計局支援チーム事務局
カンボジアの人口センサス
I. カンボジアの特殊な事情
衆知のとおり、カンボジアは、1970年、ベトナム戦争がカンボジア領内まで拡大したのを契機に、以後、1991年のパリ和平協定締結までの約22年間の長きにわたり、戦乱に巻き込まれました。 特に、1975年から1979年にかけてのポル・ポト政権下では、公務員を含む多数の知識人が虐殺されました。統計関係職員も例外ではなく、これにより、カンボジアにおける統計のノウハウは、ほとんど途切れてしまいました。 現在のNIS(カンボジア計画省統計局)職員は、ほとんどが1980年以降に採用された方々だそうです。
このような背景もあり、NISは、日本からの技術協力を切に願っているわけです。
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アンコール・トム バイヨン寺院(12世紀造営)
II. カンボジアの人口センサス
前述のとおり、カンボジアは、次回の人口センサスを2008年に予定しており、本技術協力は、この2008年人口センサスに対する支援を主な目的としています。
前回の人口センサスは、1998年に実施されたので、ここでは、1998年人口センサスについて少し触れてみたいと思います。
1998年人口センサスは、上述のような事情により、1962年以来、カンボジアでは36年ぶりに実施された人口センサスで、国連人口基金(UNFPA)の支援の下、約25,000人の調査員を配置して実施されました。
一方、日本の2000年国勢調査では、約83万人の調査員が配置されました。したがって、単純に計算すると、カンボジアの面積が日本の約半分ですので、カンボジアの調査員は、日本の調査員よりも、一人当たり約16倍の広さの地域を担当したことになります。 おそらく予算制約等により、十分な人数の調査員を採用することができなかったのであろうと思われ、厳しい条件の中で、人口センサスが実施されたことがうかがわれます。
調査は、NIS→州計画局→郡計画事務所→コミューン事務所→指導員→調査員の系統を通じて、1998年3月3日午前零時を期して実施されました。調査員の多くが教員であり、指導員の多くは地方の計画省職員であったため、上述のような厳しい条件の中でも、調査は粛々と実施されました。
これにより、速報値が調査実施から5か月後の1998年8月に、確報値が1年半後の1999年9月に公表されました。
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カンボジア・シアヌークビル市・ミッタフェアップ郡計画事務所と3人の統計担当職員
III. おわりに
統計が、国及び地方における政策立案の基礎資料として利用されていることは、いうまでもないことですが、その他に、統計の大きな特徴の一つとして、公表された統計数値は、時代を超えて後世においても不変であり、その時代の状況を的確に表していることがあります。 したがって、統計の作成は、我々の子孫に対して、その時々の状況を正確に伝えるという大きな役割があります。
本技術協力を通じて、総務省統計局・統計研修所で培われた技術により、カンボジアの現在のみならず将来における財産となる統計が充実されることを切に願うものです。