統計エピソード|ライブラリー

統計エピソード(1) 「統計」という言葉の起源

このステーションがある宇宙空間から小中学校の教室まで、色々なところで使われている「統計」だけど、みんなは「統計」という言葉が、いつ頃から使われるようになったか知っているかニャ?
ここでは、この「統計」という言葉がどのようにして生まれたのか、その起源を探ってみよう!

 「統計」という言葉は、「統」(トウ・す(べる))という漢字と、「計」(ケイ・はか(る))という漢字とで構成され、「すべてを集めて計算する」という意味になっています。個々の事がらを問題にするのではなく、全体を集めてその姿を観察しようという統計の本質をよく表しています。

 「統計」という言葉は英語の「statistics」の訳語として、明治年間を通じて次第に定着するようになったものです。「統計」という名前のついた最初の政府の組織は明治4年に大蔵省に置かれた「統計司」と「統計寮(りょう)」です。明治7年にはフランス語の「Elements de Statisique」の訳書として、簑作麟祥(みつくり・りんしょう)により文部省から「統計学」という本も出されています。

 「statistics」の訳語としては、当時、他にも「政表」「表記」「表紀」「形勢」などが提案されました。我が国の「統計学の開祖」とも言われる杉亨二(すぎ・こうじ)などは、無理に訳語を当てずに「寸多知寸知久(スタチスチク)」を用いるべきと主張し、そのための漢字さえ考えました。これが
スタチスチクの漢字の画像 です。しかし、「統計」以外の訳語は、この字もふくめていずれも定着することなく、やがて消えていきました。

 それではstatisticsを最初に「統計」と訳したのはだれだったのでしょうか。残念ながら確定的な証拠(しょうこ)は残っていないのですが、当時の史料に基づいたある研究によれば、それは「柳河春三」(やながわ・しゅんさん)ではないかということです。柳河春三は、現在の愛知県(名古屋市)出身で、1864年に開成所という江戸幕府の洋学研究教育機関の教授に登用された人物です。我が国で初めて「雑誌」と名のついた出版物を刊行したり、日本人の編集による最初の新聞を創刊したことでも有名です。

 明治時代に内閣統計局長を務めた石橋重朝の証言によれば、石橋が開成所の学生だった明治2年、柳河が編さんした「統計入門」または「統計便覧」と題した小冊子の中で「統計」という言葉が使われており「この訳語は不完全と考えるが、とりあえず仮にこうしておく」という内容が記されていた、ということです。当時、「統計」という言葉は、もっぱら「合計」という意味で使われていたようなので、柳河もこの訳語に自信を持ちきれなかったのかもしれません。

 柳河は明治3年(1870年)に亡くなりますが、その生前には、「統計学」(明治7年)をほん訳した簑作や「統計寮」の創設(明治4年)を発案した伊藤博文の米国視察にお供をした福地源一郎と深い親交があったことが知られています。そのことからも、柳河から二人に何らかの形で「統計」という言葉が伝わったのではないかと考えられます。

 仮の訳語として生まれたらしい「統計」という言葉ではありますが、1900年代初頭に日本の統計学関係の書物を通じて中国に伝わってそのまま根付き、今日では中国語としても使われています。

【参照した文献】

丸山健夫(2008)『ナイチンゲールは統計学者だった!―統計の人物と歴史の物語―』日科技連出版社