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統計力・・・情報を知識として使うために
東京大学社会科学研究所助教授 槙田 直木 (肩書は掲載当時のもの)
世界的にも長寿国である日本で、最近とみに健康情報があふれかえっている。
しかしその実態は、健康によいとされる食品がコロコロ入れ替わったり、中には怪しげな情報もあったりで、いささか妙である。人々も、情報を熱心に追い求める一方で、それらを知識として暮らしに使っているようにはあまり思えない。
ところで、こういったことは、健康情報に限ったことだろうか。スーパーの折り込みチラシで値段を比較したり、電話の料金プランにこだわったり、お金にはみな結構細かくしているはず。なのに、給与明細で毎月お目にかかるほど身近な数字である健康保険や年金の保険料には案外無頓着ではないだろうか。クレジットカードの分割払いの金額や借り入れたローンの返済額が、どのように決まるか。元金と金利の関係なども考えず、コンピュータの出力をそのまま受け入れてフーンと思っておしまいにしてないだろうか。
私たちの生活や仕事を支えている仕組みについて、表面上はともかく、本当のところは関心が低いのが、現代の風潮のようである。学校やマスコミを通して大量の情報を摂取してきているのに、知識を使うことに意識的でない様子は、情報化社会に見る、骨粗鬆症ならぬ、知識粗鬆症といえなくもない。
統計データも、時として、そんな「あふれる情報」の一つになりかねない。「高齢者の6割近くが年金減額に理解」。これは、先日、新聞がある調査結果について報じた記事の見出しである。これだけを見ると、厳しい年金財政に対するお年寄りの「物わかりの良さ」は、負担を背負う現役世代にとってありがたく映る。しかし、この見出しが言うことは、本当に信頼できるものなのだろうか。記事の本文を読むと、「アンケートはホームページを使って実施。1043件の回答があった。… 60歳以上で57.9%」と続いている。
調査結果を出した機関の発表資料を取り寄せてみると、その「アンケート」の実態はインターネットでアクセスしてきた人が選択肢をクリックした回答の集計であることがわかった。質問は全部で13問に渡り、他にも国や地方の財政、公共事業などについて尋ねている。これだけの規模のアンケートに、ホームページを訪れた人全員が必ずクリックしてくれることはそう考えられない。どうやら、この「アンケート」で調査された人は、日本の中から無作為に抽出した標本ではなく、パソコンを操ることができ、かつ財政に関して強い問題意識を持つ人々、と推測される。これでは、回答者に一定の偏りが出るおそれがある。しかも、1043件を年齢階級別集計した数字を読み解くと60歳以上の人は全体の2%程度であることがわかった。どうやら、「高齢者」6割近く理解」の実態は、60歳以上の19件のうちの11件を指すらしい。(11÷19 を計算すると、ちょうど 0.579)このように「アンケート」の実態につい てよく見てみると、この調査結果が日本のお年寄り全体を公正に表したものであるとはあまり思えない。
統計データの利用者には、それを解釈するための眼力を養うことが必要である。このとき、データそのものを見るだけでなく、調査方法、調査票や標本の設計、誤差など(これらを総称して「メタデータ」という。)も読み取ることが助けになる。意思決定が適切なものになるためには、統計データを的確に解釈すること、場合によっては統計データが有する限界をわきまえること、が必要である。あふれる情報を理解して、そこから知識を取り出して使うためには、そんな能力、いわば統計力が必要ではないだろうか。また、統計データの作成者は、統計を適切に作成することはもちろん、利用者の適切な理解を促すために、データを提供する時には、このようなメタデータも併せて公表すべきであろう。このことは、作成している統計の品質を保証することにもなる。
総務省統計研修所では、国家公務員及び地方公務員の統計力を涵養する多彩なコースが年間を通して設けられている。行政運営の羅針盤である統計が知識粗鬆症に冒されないために、より多くの方の受講を呼びかけたい。
(ここで述べた意見は筆者個人のものであり、筆者が所属する又は関係する組織・団体のものではありません。)
(2003年7月1日 掲載)