近代日本を築いた統計
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日本の統計理論を確立した呉文聰呉文聰呉文聰が編集・執筆に携わった雑誌column:02 杉亨二と並んで、日本の近代統計学の確立に寄与した人として、呉文聰(くれあやとし/ぶんそう)が挙げられます。 呉は1851(嘉か永えい4)年に、安芸藩浅野家の医師の次男として江戸・青山に生まれました。少年〜青年期に漢学、英語を学び、後には福澤諭吉の慶應義塾で学んだこともあります。 1873(明治6)年から工部省電信寮訳文課に勤めましたが、統計のことを耳にして、1875(明治8)年に、太政官正院政表課に勤めます。このとき政表課長を務めていたのが杉亨二でした。呉は杉から統計学を学び、日本の近代化のために統計のための調査機関を整備するという志を共にすることになりました。 1876(明治9)年、杉を中心とする「表記学社」の設立には、呉も関わっています。呉は、イギリスの統計学会の論文を紹介するほか、自らも統計学に関する論文の執筆や編集に携わりました。 呉は、過去の現象から現在がわかり、現在の現象から未来を予測できる統計学は、人類の幸福を増進させる最適な学問であると考えました。呉は、統計の考え方を広めるため、自ら政治家になるという考えも持っていました。 1879(明治12)年に実施された「甲斐国現在人別調」には、呉も手伝いとして参加しています。杉亨二に統計学を学ぶ統計学は未来を予測する

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