近代日本を築いた統計
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昔の「統計」が今の「統計」の定義に当たらないからといって、「スタチスチック」に「統計」を用いるべきでないとは言えない。中国の辞書には「統計」という語には「合計」という意味しかない。人間社会の事実を研究する科学である『スタチスチック』が「合計学」とは随分情けないことだ。そうねえ…第3章は、杉亨二をはじめ、多くの統計学者の悲願だった国勢調査の実施がどれだけたいへんだったかについての話よ意外な人が統計に関係しているんですねこうして、「統計」という訳語が日本に定着することとなった。その陰に、文豪森鷗外が関わっていたとは、あまり知られていない事実である。しかし、「スタチスチック」の語は世間での通りは悪かった。1892(明治25)年、当のスタチスチック社自体が、杉も合意して社名を「統計学社」、刊行する雑誌名を『統計学雑誌』と変更することとなった。「統計」を巡る主張は、互いに譲らず数回にわたる長いやりとりが重ねられた。35

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