近代日本を築いた統計
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そう、文豪の森もり鷗おう外がいよこの人って、たしか…後には、陸軍軍医総監、陸軍医務局長という要職に就いている。そんな折に起こったのが、訳字論争と呼ばれる騒動だった。その当事者の一人が、陸軍医学舎教官の森もり林りん太た郎ろうである。森鷗外こと森林太郎は、今でこそ文豪として知られているが…、陸軍軍医として勤務し、30歳で医学博士となる。東京大学医学部を卒業後、ドイツへ留学。森林太郎は、1862(文ぶん久きゅう2)年、石いわ見み(島根県)の医師の家に生まれた。ずっと医学の道を歩んでいた。森林太郎33

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