近代日本を築いた統計
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スタチスチックの専門家を養成する学校が必要です第1章にもありましたねこれからお互いがんばろう一方、1882(明治15)年、杉は統計院院長の鳥とり尾お小こ弥や太たに提案した。しかし、この年の政変により、統計院の生みの親の大隈が失脚。わっ1881(明治14)年、統計院ができると、大隈重信が院長、杉が大書記官に就任。統計院は、規模を縮小されていった。わっそれなら!財政が厳しいのでとても無理!くそ〜26

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