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12月4日  日本近代統計の祖 杉 亨二の命日

杉 亨二氏画像

 大正6年(1917年)の12月4日、日本近代統計の祖と言われた杉亨二が生涯を閉じました。

 杉亨二は、統計学の開拓者にして、近代的統計調査の先駆者であり、統計教育の先覚者でもありました。また、明治4年(1871年)、太政官正院(だじょうかんせいいん)に置かれた政表課(現在の総務省統計局の前身)の大主記に任ぜられたことから、初代の統計局長とも呼ばれています。

 杉は、文政11年(1828年)、長崎の裕福な酒屋の一人息子として生まれましたが、幼くして両親を失い、天涯孤独の身で働きながら学問に打ち込みました。二十歳を過ぎてから江戸に出て、勝海舟に自らを売り込み勝塾の塾長になったり、杉田 成卿(すぎた せいけい)(杉田玄白の孫)の門に入ったりして更に研鑽(けんさん)を積み、江戸幕府の洋学教育機関であった開成所(後の東京大学)の教授職に迎えられました。杉が統計を志したのも、開成所での洋書の翻訳がきっかけでした。ドイツ・バイエルンの教育統計の記事を読み、その中に「100人の中で読み書きの出来る者が何人、出来ない者が何人」ということが書いてあり、こういうものが日本にも必要であると考え、これを一生の仕事にしようと決心し、西洋の統計関係の書物をむさぼり読んだのです。

 杉は、明治維新とともに駿河(静岡県)に移住し、そこで人口調査に取り組みました。その際に、幕末・維新期の侠客(きょうかく)として名を馳せた清水 次郎長(しみずの じろちょう)とも出会っています。調査は藩重役の妨害にあって完了しませんでしたが、このことが明治新政府に聞こえることとなり、太政官から出仕が命ぜられました。そして、太政官において統計業務に携わることとなり、明治12年(1879年)、遂に永年抱き続けてきた人口調査の実施が実現しました。現在の山梨県において、杉の指導の下、我が国の国勢調査の先駆をなす「甲斐国(かいのくに)現在人別調(げんざいにんべつしらべ)」が行われたのです。その後、共立統計学校を設立して統計専門家の養成に当たり、さらに、統計の普及、国勢調査の実現などに尽力しました。

 杉は、人口調査(国勢調査)の必要性を生涯訴え続けた人ですが、大正9年(1920年)第1回国勢調査の実施を待たず、調査実施の3年前に90歳の生涯を閉じました。

 青年時代の杉が、子母沢 寛(しもざわ かん)の「勝海舟」に生き生きと描かれています。この中で杉は、幼名の杉純道で登場しますが、杉が二度目に勝を訪ねた際の二人のやり取りに逸話が残されています。


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